タイと日本 戦国~激動の世界と日本~(2)▽ジャパンシルバーを獲得せよ 2020/07/05(日) メモ

NHKスペシャル 戦国~激動の世界と日本~(2)▽ジャパンシルバーを獲得せよ 2020/07/05(日) メモ

地球規模の歴史から、戦国日本の新たな姿を描くシリーズ。2集は、徳川家康の天下取りの時代。世界の覇権をめぐり、日本の銀を狙うオランダとスペインの激しい攻防に迫る。

地球規模の歴史から、新たな日本の戦国時代を描くシリーズ。第2集は徳川家康の天下取りの時代。新発見の文書に記されていたのは、オランダ商人と家康の深い繋がり。オランダは、当時最重要の国際通貨だった「銀」を求めていた。世界の産出量の3分の1を占めた日本銀をめぐり、オランダと超大国スペインの間に激しい攻防が始まる。覇権をかけた両国の争いの最前線となった戦国日本、その実像に迫る。ナビゲーターは西島秀俊さん。

【司会】西島秀俊,【出演】金田明夫,【語り】礒野佑子

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徳川と豊臣の対立はヨーロッパの代理戦争だった?

 日本の戦国時代は今まではあくまで日本国内の視点のみで語られることが多かったが、それを世界との関わり合いから見ていこうという大胆な企画の第2回目。視点を変えることで今までとは違う戦国時代の姿が見えてくるということである。

 前回は秀吉が亡くなって宣教師たちが目論んだ中国侵攻が頓挫するところで終わったが、今回は秀吉死後の徳川と豊臣の争いの影で暗躍するオランダとスペインの思惑についてである。


 

スペインと対立する過程で日本にたどり着いたオランダ

 1600年4月19日、嵐で難破したオランダの貿易船が日本に漂着する。この船には最新式の鉄砲や弾薬が大量に積まれていた。この船に目をつけたのが徳川家康である。家康は自らオランダ人達を尋問している。豊臣家に対抗する軍事力強化を目指していた家康にとって、武器の通商にやって来た彼らはまさに格好の取引相手であった。そこで家康は船員達を家臣として召し抱える。その一人が有名なウィリアム・アダムス(三浦按針)である。そしてオランダ船が積載していた武器は家康のものとなり、これらは関ヶ原の合戦で活躍する。


ウィリアム・アダムス 出典:臼杵市HP
https://www.city.usuki.oita.jp/docs/2014020600544/
 スペインの支配下から独立したオランダは、覇権を巡ってスペインと争っていたが、海外の植民地からの莫大な富を得ていたスペインは強大で、オランダは劣勢に立っていた。この時にオランダは貿易による富国強兵策を打ち出し、その富によってスペインを打ち倒すという戦略を立てていた。オランダはそのために東インド会社を設立する。この会社は独自に条約を結んだり兵士を雇ったり、貨幣を発行する権利など国家に匹敵する力を有していた。これはオランダがスペインとの経済戦争で勝利するためだった。この東インド会社が日本に正式の使節を送り込む。オランダがスペインなどと根本的に異なっていたのは、スペインなどは交易だけでなくキリスト教の布教が大きな目的であったのに対し、オランダはあくまで貿易のみを目的としていたことである。


 

世界の覇権を握るのに不可欠の日本の銀

 またスペインはアメリカ大陸の銀山を押さえ、世界の銀産出量の8割を有していた。この銀の力でスペインは覇権を握っていたのである。スペインによる銀の独占を切り崩したいと考えていたオランダが目をつけたのが日本の銀山だった。そのためにオランダが日本に送り込んだのがジャック・スペックだった。彼は密かに佐渡の銀山を調査していたという。佐渡の銀山の開発を進めていたのが家康である。家康は5万を投入して24時間体制で銀を掘らせていた。佐渡の銀山の推定埋蔵量は2300トンで世界トップクラスの銀山だったという。家康が鉱山開発を進めたことで、日本の銀の産出量は世界全体の1/3を占めるまでになっていた。

 しかし佐渡の高品質の銀は国外への持ち出しを禁じられていた。そこでスペックは家康と交渉に臨む。毛織物やガラス細工品などを持参して家康に献上しようとしたスペックに対して、家康が望んだものは兵器だった。

 このオランダの動きに焦ったスペインも慌てて家康の元に使者を送り込む。スペインは鉱山技師を派遣して銀の生産量を上げることを提案する。しかし新たな採掘した銀の半分をスペインのものにすることとオランダ人の国外追放、さらにキリスト教の教会を建てて宣教師を置くことを条件としていた。スペインにとっては貿易とキリスト教布教は不可分だったのである。これはキリシタンを増やすことで日本を乗っ取ることを狙う意図も秘めていた。これに対してオランダは、スペインはキリシタンの反乱で日本を乗っ取るつもりであり、この方法でフィリピンもメキシコを植民地にしたと家康に告げる。家康はこの言葉でスペインに対する不信感を募らせ、スペインとの交渉を打ち切ると共に、キリスト教の全面的な禁止に踏み切る。布教の道を断たれたスペインは今度は豊臣秀頼に接近する。徳川と豊臣の戦いはスペインとオランダの代理戦争の側面も帯びたのである。


 

オランダ・スペインの代理戦争としての大坂の陣

 そして大坂の陣が勃発する。宣教師たちはキリスト教の布教を認めた秀頼に肩入れし、豊臣に付くようにキリシタンの武将たちに働きかける。全国からキリシタンが結集し、豊臣勢は総勢10万にまで膨れあがる。さらにキリシタン勢力は大阪城に鉛を運び込み、大阪で鉄砲の弾の生産を行うなど、武器の供給にも協力していた。

 いよいよ決戦が始まる。しかし堅固な大阪城は接近することさえ困難であった。ここで家康が目論んだのは大砲による大阪城攻略であった。ただしこれを行うには徳川軍の陣地から最短でも500メートルの距離を砲弾を飛ばす必要があった。これに応えたのがオランダ。彼らは当時の最先端の銅製のカノン砲を持ち込む。この大砲は音速に達する速度で砲弾を撃ち出し、500メートル以上先にある厚さ10センチの木の板を軽々と打ち抜く破壊力を有していた。家康はこの大砲で大阪城を攻撃、砲弾は天守と御殿を直撃し、豊臣勢は戦意喪失、豊臣家は滅亡する(この番組ではあっさりと決着をつけているが、実際には淀君がその破壊力にひるんで講和に動き、その後に家康はだまし討ちで大阪城の内堀まで埋めて裸城にした上で再び豊臣家に戦いを挑んで滅ぼしてしまうのであるが)。

 この家康の勝利はオランダにとっても転機となる。これでオランダが欲しかった銀を入手することが出来るようになったのである。取引は年々増え、最盛期には年間94トンもの銀が日本から持ち出され、オランダがスペインに対抗するために有力な武器となった。


 

オランダの覇権確立に活躍した日本の侍

 勢いのついたオランダはさらにスペインに攻勢に出る。オランダは東南アジアのスペインの植民地の攻略にかかる。実はここでまた日本が驚いた関わり方をしている。

 戦乱の中で性能を高めた日本の武器が輸出され、さらに国内で戦がなくなって職にあぶれた侍が傭兵としてオランダの戦いに参加したのである。戦に慣れていて勇敢な侍達は傭兵として大活躍し、これによってオランダはスペインとの戦闘に次々と勝利していった。その結果、世界の海を行く船の3/4にオランダの旗が翻ることになる。

 さらにオランダアムステルダムにある大砲が日本の高品質の銅を用いて作られていたことが判明したという。オランダはこの大砲でスペインとの三十年戦争に勝利し、スペインの没落は決定的となる。ここでヨーロッパの覇権が定まり、宗教の時代から経済の時代への変化が起こったのだという。


 

 戦国日本の背後でヨーロッパ列強がウロチョロしていた認識はあったが、ここまでまとめられると圧巻である。オランダ、スペインと、家康、秀頼らの虚々実々の駆け引きが生々しい。この内容から行くと、豊臣家が勝利していたらスペインが日本と手を組むことになるだろうから、日本はキリスト教に支配されて、その内にスペインの植民地にされていた可能性が高いということになる。これはまた新しい戦国の見方である。それにしても前々から感じていたが、やっぱりキリスト教って邪悪だな・・・。

 それにしてもオランダ人はまさに元祖エコノミックアニマルである。交易によって経済力をつけ、それによって軍事力をもつけるというのは、当時としてはかなり斬新な考え方だっただろうと思われる。もっともそのオランダも、この後にさらなる新興国であるイギリスに押されることになるのだから諸行無常ではある。

 この流れから行けばいずれは日本も国際貿易圏の中に取り込まれるという展開の方が自然な気がするのだが、ここからまた鎖国体制に動くわけであるからなかなかに歴史は難しい。家康はヨーロッパとの交易の有効性は十二分に了解している上で、ヨーロッパが日本に介入してくることによって国内が不安定になる危険というのを懸念していたのだろう。国内が幕藩体制で固まっていけば行くほど、武器などの調達は不必要となるし、そうなれば海外との大規模な交易は特に必要がなくなったということか。

 それにしても日本の銀の思いの他の影響力の大きさと、日本人が傭兵として海外進出までしていたということは認識があまりなかった。なるほどそれで山田長政の伝説なんかがあるのかと今になって納得した次第。実際にこの時代には、思いの外大勢の日本人が東南アジアなどに渡って日本人町などを作っていたという。もし日本が鎖国体制に入らなかったら、そのまま日本人は東南アジアに増加して華僑と経済の覇権を争うことになっただろうと思われる。そうなっていたらその後の世界史もまた大分変わったろう。


 

忙しい方のための今回の要点

・スペインから独立した新興国オランダは、植民地からの富によって圧倒的な力を持つスペインに対抗するため、経済力を強化することを狙って東インド会社を設立、アジアへ交易へと乗り出す。
・当時のスペインは世界の銀の8割を押さえており、オランダがスペインに対抗するためには銀の確保が必須だった。オランダはそのために日本の銀山に目をつける。
・当時の日本は佐渡銀山を初めとして家康が各地で鉱山開発を進めており、その産出量は世界の1/3を占めるまでとなっていた。
・日本の銀を欲するオランダは家康に武器を売ることを持ちかける。
・一方のスペインは家康に鉱山技師を派遣することを提案するが、キリスト教の布教が絶対条件となっていたため、キリシタンによる反乱を警戒する家康はスペインの申し出を拒絶する。
・家康に拒絶されたスペインは豊臣秀頼に接近し、キリシタン達にも秀頼を支援するように手配する。
・大坂の陣では家康は堅城大阪城に苦戦。オランダに大阪城を直接攻撃できる大砲の調達を依頼する。オランダはこの要求に対して最新鋭の銅製のカノン砲を持参、家康はこの大砲で大阪城の天守や御殿を砲撃し、これによって戦いに勝利を収める。
・日本の銀を獲得できたオランダはスペインに対抗する力を手に入れ、次にはスペインのアジアでの拠点の奪取を試みる。この際に日本で発達した武器と共に、戦がなくなって失業した侍達が傭兵として送られる。オランダはこの侍達の活躍によってスペインの拠点を次々と攻略、世界の覇権を確立する。


忙しくない方のためのどうでも良い点

・ヨーロッパ側から日本の戦国時代を見るというこのシリーズ、なかなか新しい観点で非常に面白かったです。どうしても普通に勉強していたら日本史と世界史というのがなかなか接続しないものなのですが、こうしてみると日本史と世界史がシームレスでつながってきて非常に興味深い。
・要するにこの時代ぐらいから、地球全体が相互に影響し合うグローバルな時代になってきたということなわけだ。こういうグローバルな世界というのは、日本人にとっては大体明治以降というイメージがあったが、実はそれ以前にもダイナミックにあったということになる。
・それにしてもやっぱり日本って、ヨーロッパの植民地にされかねない紙一重の際どいところをウロウロしてたんですね。


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植民地
戦国時代
大坂
徳川家康
武器


///

(発射音)

今から400年前に造られた

ヨーロッパ製の大砲の発射実験です。

この大砲は
戦国時代の日本に持ち込まれ

史上最大の合戦を左右しました。

押し出せ~!

これまで 日本国内の出来事として
描かれてきた 戦国時代。

ところが 今 世界各地で

新発見が相次いでいます。

そこから
日本とヨーロッパの覇権争いが

深く結び付いていたことが

分かってきたのです。

徳川家康のもとに 最新式の大砲を

ひそかに提供していました。

スペインを後ろ盾とする宣教師たちは

豊臣秀頼を支援します。

家康を討ち取るんじゃ~!

(一同)そうじゃ! そうじゃ!

戦国日本で暗躍する スペインとオランダ。

その狙いは…。

日本の銀 ジャパン・シルバー。

当時 日本は
世界の銀の3分の1を生み出す

銀山王国でした。

覇権争いのカギとなる銀を求めて
激しい攻防が繰り広げられます。

更に オランダとスペインは
アジアの植民地を巡って激突。

この時 最前線で戦っていたのは

なんと日本のサムライでした。

戦国日本は 世界の歴史を動かす

大きな力となっていたのです。

日本と世界が つながって生まれた

地球規模の大変革。

新たな視点から浮かび上がる
激動のドラマです。

♬~

「シリーズ 戦国」。
新たな資料を駆使して

戦国時代の日本と世界の関わりを
壮大なスケールで読み解きます。

第1集で描いたのは 信長 秀吉と

スペイン王を後ろ盾とする宣教師との

熾烈な駆け引きでした。

長く続いた戦乱の中

日本は 世界屈指の
軍事大国となっていました。

宣教師は この日本の軍事力を利用した
アジア征服を計画。

その結果 世界を巻き込んだ
大戦争の危機に 直面したのです。

第2集の今夜
新たなプレーヤーが加わります。

ヨーロッパの新興国 オランダ。

もともとは 商人たちがつくった
小さな国でした。

しかし 瞬く間に 世界の覇権を握ります。

一体 なぜなのか?

そこには
戦国日本で繰り広げられていた

徳川家と豊臣家の戦いが
深く関わっていました。

日本から遠く離れたオランダ。

ここで 戦国日本に
新たな光を当てる史料が見つかりました。

日本に滞在したオランダ商人が
書き残した 日誌や手紙。

500件に及ぶ 膨大な記録です。

そこには 戦国武将の懐に入り

利益を上げようと奔走する

商人たちの姿が記されていました。

オランダと戦国日本の運命の出会い。

それは 偶然から始まりました。

嵐に襲われ難破した貿易船が

命からがら日本にたどりついたのです。

おい! 大事ないか!

おい! おい しっかりせい!

おい これは何だ!

船には 最新式の鉄砲や弾薬が
大量に積まれていました。

このオランダ船に
目をつけた人物がいます。

徳川家康です。

家康は 自ら
生き残った船員たちを尋問しました。

この時の詳細なやり取りが
記録に残されています。

豊臣家に対抗するため
軍事力を強化していた家康。

オランダの提案は
まさに 渡りに船でした。

ハッハハハハハ! 面白い。

その方ら このわしに仕えんか。

家康は 船員たちを家臣として
召し抱えることを決めます。

(2人)ははっ!

船に積まれていた 大量の武器・弾薬は
家康の手に収まることになりました。

オランダが日本に来た背景には

ヨーロッパ情勢の
劇的な変化がありました。

大国 スペインの支配下にあった
オランダ。

圧政を逃れるべく 独立を宣言。

激しい戦争を始めます。

しかし スペインの力は強大でした。

世界中の植民地から
ばく大な富を吸い上げ

無敵艦隊をはじめとする
世界有数の軍事力を擁していました。

独立間もないオランダは
劣勢に立たされます。

この時 オランダが打ち出したのが
貿易による富国強兵策。

海外で商品を売って資金を稼ぎ

スペインに対抗できる軍事力を
持とうとしたのです。

オランダと日本の出会いは
歴史を大きく動かしていきます。

オランダ船 漂着の半年後に起きた
関ヶ原の戦い。

徳川家康と 石田三成ら
豊臣家の武将たちが激突します。

徳川の武勇を天下に知らしめよ!

押し出せ~!
(一同)お~!

家康を討ち取れ~!

(一同)お~!

総勢20万ともいわれる大軍が戦った
天下分け目の決戦。

当時の宣教師の記録に
その様子が記されています。

オランダの武器を手にした徳川軍。

その火力は 圧倒的でした。

勝ちどきじゃ~!

えいえい…。
(一同)お~!

天下取りに大きく近づいた 徳川家康。

しかし 最大の障壁が残っていました。

父 秀吉からばく大な遺産を受け継いだ
豊臣秀頼です。

秀頼のもとには

豊臣家に忠誠を誓う武将たちが
結集していました。

激しさを増す 徳川家と豊臣家の争い。

同じ頃 ヨーロッパでも

オランダとスペインの戦いが
新たな局面を迎えていました。

世界初の株式会社
オランダ東インド会社の誕生です。

その最重要資料の撮影が
特別に許可されました。

グローバル経済の先駆者となる
オランダ東インド会社。

本来 国が持つ さまざまな特権が
一つの会社に託されていました。

外国の領主と独自に条約を結ぶ権利。

兵士を雇い 要塞を築く権利。

更に 貨幣を造る権利まで。

最前線に立つ商人に
強力な権限を与えることで

迅速な海外進出を目指し

宿敵 スペインに
打ち勝とうとしたのです。

この 世界初の株式会社は
戦国日本に正式な使節を送り込みます。

そこには 秘められた狙いがありました。

戦国日本と世界の歴史を
大きく変えていくことになる

オランダ東インド会社。

現代の株式会社のルーツといわれる
画期的な組織でした。

この時代 ヨーロッパに
君臨していたのは 各国の国王。

そして キリスト教の指導者である
ローマ教皇です。

彼らが求めたのは
領土を広げ 信者を増やすことでした。

ところが 商人たちがつくった国
オランダの目的は 全く違います。

領土や布教ではなく
純粋に利益を追求しました。

オランダは 東インド会社を通じて
国中から資金を募り

世界各地へ貿易船を送り出します。

このオランダが 注目したのが
戦国日本です。

そこには 世界の覇権を握るためのカギが
眠っていたからです。

大航海時代
世界最大の帝国を築いたスペイン。

その力の源が 大西洋で発見されました。

水深1, 100mに沈んだ 貿易船の調査。

ばく大な数の財宝が
引き上げられました。

59万枚 17トンに及ぶ銀貨。

この銀こそが
世界の覇権を握る原動力でした。

当時スペインは 新大陸の植民地で
巨大な銀山を開発。

世界の生産量の8割を占めます。

銀の力によって 世界経済で優位を築き

強大な軍事力を支えていました。

一方 新興の商業国家 オランダ。

スペインに対抗するため
銀の独自の入手先が必要でした。

16世紀にヨーロッパで出版された
「日本地図」。

そこには 銀山王国と記されています。

戦国時代の日本は
銀の産出国として知られていたのです。

日本の銀を手に入れるため
オランダ東インド会社は

有能なビジネスマンを送り込みます。

ジャック・スペックス。

今回見つかった史料から
スペックスが日本の銀について

内密に調査を進めていたことが
分かりました。

新潟県佐渡島。

実は 戦国時代
ここに 日本最大級の銀山がありました。

山を真っ二つに割った
巨大な露天掘りの跡。

当時 佐渡では 激しいシルバーラッシュが
巻き起こっていました。

この銀山の開発を進めたのが
徳川家康です。

家康は 豊臣家に対抗する資金源として
銀を重視。

関ヶ原の戦いのあと
いち早く佐渡を押さえていました。

佐渡には 一体どれほどの銀があったのか。

今 調査が進んでいます。

戦国時代末期
家康が開発を進めた坑道です。

荒々しいノミの跡。

一日に掘れるのは
10cmがやっとだったといいます。

家康は5万人の労働者を送り込み

昼夜交代で休みなく 採掘を進めました。

探査ロボットを使って
銀の採掘量を調べます。

いいよ。 右に… 右に寄っていかんと。

もうちょっと まだ まだ まだ。

ちょっと左側に振って…。
左旋回します。   はい ストップ!

お~ やった~。

これでどうか分かるか…。

調査データを基に
CGで再現した坑道です。

奥行きは 25m。

鉱脈を追って くまなく
掘り尽くした様子が分かります。

この坑道一つから
670kgの銀がとれたと推定されました。

アリの巣のように広がる 無数の坑道。

佐渡全体での埋蔵量は
2, 300トンを超え

世界トップレベルの銀山でした。

家康は 佐渡をはじめ

全国各地で次々と鉱山開発を進めました。

日本の銀の生産量は急速に拡大し
年間100トンを超えます。

世界の生産量の
およそ3分の1を占めました。

日本の銀を狙う オランダのスペックス。

調査の結果 佐渡の銀は

スペインの銀以上に
純度が高いことが判明します。

しかし 当時 良質な銀を
国外に持ち出すことは

禁じられていました。

スペックスは
家康との交渉に乗り出します。

私たちの商品と引き換えに
日本の銀を頂きたいのです。

スペックスは 家康が好む商品を
入念に調査。

献上品として用意していました。

しかし…。

オランダは 戦が得意でもあったの。

兵器こそ持ってこい。

家康がより強く求めたのは
兵器でした。

スペックスは すぐさま準備に
取りかかります。

オランダ東インド会社の
貿易ネットワークを駆使し

兵器をかき集めようとしました。

オランダの動きに焦ったのが
スペインです。

負けじと 家康のもとに
使者を送り込みます。

ロドリゴ・デ・ビベロ。

ビベロは 家康との交渉に
有効なカードを持っていました。

鉱山技師です。

最先端の技術を持つ
スペインの技師がいれば

日本の銀の生産量を
更に伸ばすことが可能でした。

ところが…。

鉱山技師を派遣するには
条件がございます。

中でも 最重要の条件がありました。

貿易とともに
強く布教を求めたスペイン。

そこには 隠された狙いがありました。

ビベロが
ひそかに国王に送っていた文書です。

スペインの野心を察知したオランダは
家康に訴えます。

「スペインは キリスト教を広め

キリシタンの反乱によって国を崩し
征服しようとしています。

フィリピンもメキシコも
この方法で支配下に置き

植民地にしてきたのです」。

この言葉で
スペインへの不信感を募らせた家康。

交渉を打ち切ります。

更に キリスト教の全面的な禁止に
踏み切りました。

何をしておる! この者どもを捕らえよ!

各地で 厳しい弾圧の嵐が吹き荒れました。

布教の道を絶たれたスペインは
新たな策を講じます。

宣教師たちが目をつけたのは
大坂の豊臣家。

家康と敵対する豊臣秀頼に
接近したのです。

それぞれの思惑が絡み合う中

戦国最後の合戦が
始まろうとしていました。

日本の銀を巡って しのぎを削った
オランダとスペイン。

なぜ そこまで 銀を求めたのでしょうか?

その理由は 経済の仕組みの劇的な変化。

現代まで続く グローバル経済の誕生です。

大航海時代 アメリカ大陸で
大規模な銀山が見つかると

銀貨が大量に造られます。

これこそ 世界中で使われる
初の国際通貨でした。

銀貨によって ヨーロッパの商人たちは
東南アジアの香辛料や

中国の陶磁器など 世界各地の商品を
購入できるようになります。

ヨーロッパ アジア アメリカが
銀によって結ばれ 国際貿易が活性化。

地球規模の
全く新しい経済が誕生していたのです。

銀を巡って争った オランダとスペイン。

その行く末を決める舞台となったのが
大坂の陣でした。

戦国最大にして最後の合戦
大坂の陣。

天下取りに王手をかけた徳川家康。

その最後の障壁となった豊臣秀頼。

日本の頂点を決める この戦いは

オランダ スペインの覇権争いとも
深くつながっていました。

スペインを後ろ盾とする
宣教師たち。

勢力挽回のため 豊臣家に肩入れします。

宣教師たちは 豊臣方につくよう
キリシタンの武将に働きかけます。

家康を討ち取るんじゃ!
そうじゃ! そうじゃ!

全国から 信仰心あついキリシタンが結集。

豊臣軍は 総勢10万の大軍に
膨れ上がっていました。

更に…。

キリシタン勢力は
武器の調達においても活躍しました。

決戦の舞台となった
大坂城。

今 大規模な発掘調査が
続いています。

地下から現れた 豊臣軍の軍事基地の跡。

そこから 作りかけの鉄砲玉が
発見されました。

大坂城下では 戦のさなか

銃弾の製造が行われていました。

それを可能にしたのが

スペインとつながる
キリシタンの商人です。

キリシタン商人は
弾の原料となる鉛をかき集め

大坂城に運び込んでいたのです。

決戦の火蓋が切られました。

大軍で 四方から攻め寄せる徳川軍。

しかし…。

放て~!

豊臣軍から 一斉射撃を浴びせられ
大坂城に近づくことも困難でした。

お味方 壊滅!

ええい くそっ!

追い詰められた家康。

起死回生の策を打ち出します。

大砲による
大坂城への直接攻撃です。

しかし 徳川軍の陣地からは
最短でも 500m。

従来の大砲の有効射程を超えていました。

この時 家康が頼みの綱としたのが
オランダでした。

大砲は 用意できるか?

はい もちろんです。

家康の待ち望んだ
オランダの大砲。

それは どのようなものだったのか?

当時 最新式のカノン砲。

2頭の獅子のマークは

オランダの大砲工場でつくられた
証しです。

オランダ東インド会社は

海外の戦場で売れる商品として
大砲に着目。

多額の開発資金を投入し

イノベーションを加速させていました。

オランダの大砲の威力を検証するため

実弾の発射実験が行われました。

ターゲットは 大坂城の天守を想定。

厚さ10cmの堅ろうな木材で
作られました。

発射の瞬間を捉えた
ハイスピードカメラの映像です。

砲弾の速度は 秒速340m。

音速に達していました。

ターゲットの中心に 正確に命中。

分厚い木材を難なく破壊しました。

有効射程は 500m以上。

世界各国で開発された
大砲の中でも

群を抜く性能でした。

オランダの大砲は 大坂の陣のさなか
家康のもとに届けられます。

待ちわびたわ。

(悲鳴)

砲弾は 天守と御殿を直撃。
多数の死傷者を出します。

総大将 秀頼は 戦意を喪失。

豊臣家は 滅亡します。

150年にわたる戦国の世に
終止符が打たれたのです。

大坂の陣は オランダとスペインの
覇権争いにおいても転機となりました。

オランダ東インド会社が

待望の銀を手にする
決定打となったのです。

家康の信頼を勝ち得たオランダ。

年々 取引高を伸ばし

最盛期には 年間94トンもの銀が
日本から運び出されます。

小さな商業国だったオランダが

ついに 大国 スペインに対抗しうる力を
手にしたのです。

家康にとって
天下取りの総仕上げとなった 大坂の陣。

念願の銀を手にしたオランダにとっても
大きな飛躍の場となりました。

戦国最後の合戦の裏には
知られざるドラマがあったのです。

勢いづいたオランダは

スペインとの
更なる戦いに乗り出します。

植民地争奪戦です。

舞台となったのは 東南アジア。

香辛料の特産地 モルッカ諸島や

海上交通の要 マラッカなど

重要な貿易拠点の多くは
スペインが支配していました。

オランダは このスペインの植民地を
奪い取る計画を立てます。

カギとなったのは

戦国日本から輸出された
驚くべき商品でした。

ここに 日本を出発したオランダ船の
積み荷リストが残されていました。

火縄銃や槍 日本刀。

戦乱の中で性能を高めた日本製の武器は
格好の商品でした。

更に 武器と共に
数多く記されていたのが

日本人の名前です。

一人一人に
細かく 給料が
定められています。

彼らの正体は 金で雇われ
海外の戦場で戦う傭兵。

日本のサムライたちが

いわば 商品として
輸出されていたのです。

背景にあったのは 日本の戦国時代が
幕を閉じたことでした。

天下太平の江戸時代が訪れると

それまで 戦をなりわいとした
多くのサムライが失業。

新たな戦いの場を求めていたのです。

サムライを植民地争奪戦に用いたのが
オランダです。

スペックスのもとに

東南アジアの植民地総督から
救援要請が届きます。

スペックスは 日本のサムライを
一挙に数百人規模で雇い上げようと画策。

その実現のため
家康との直接交渉に乗り出しました。

オランダから武器を入手し
利益を得ていた家康。

スペックスの申し出を特別に許可します。

日本人傭兵を手にしたオランダ。

スペインが支配するモルッカ諸島に
狙いを定めます。

モルッカ諸島は
スペインの最重要拠点の一つ。

特産品の香辛料は 一粒が
同じ重さの銀に匹敵するといわれ

ばく大な利益を生み出す商品でした。

スペインは モルッカ諸島の各所に
堅固な要塞を築き 防備を固めます。

オランダは 長年 その攻略を試みるも
果たせずにいました。

この時 突破口を切り開くために
送り込まれたのが

日本人傭兵だったのです。

オランダが立てた モルッカ攻略作戦。

その記録が残されていました。

まず 軍艦が夜の闇に紛れて
要塞に接近。

絶え間なく砲撃を加えます。

スペイン軍が
くぎづけになっている隙に

歩兵隊が ひそかに上陸。

夜が明けるとともに
敵の死角から 一気に攻め入りました。

先陣を切ったのは サムライたち。

槍や日本刀による接近戦で
敵を切り崩しました。

サムライたちの決死の攻撃で
要塞は陥落。

オランダは 勝利を手にしました。

「スペインをアジアから駆逐するには

日本人傭兵が大きな助けとなる」。

(いななき)

長きにわたる戦乱の世が生んだ
最強の兵士 サムライ。

その力を得たオランダは

スペインの植民地を次々と奪取。

貿易ネットワークを
大きく塗り替えました。

この後
世界の海を行くヨーロッパの船の

実に 4分の3に
オランダの旗が翻ることになります。

オランダは 戦国日本と結び付くことで
世界の覇権を手にしたのです。

戦国 それは

日本と世界が初めて本格的に出会った
激動の時代。

戦国武将たちの
天下を巡る戦いの背後には

ヨーロッパの大国の
秘められた思惑がありました。

一方 戦国日本が生み出した
銀やサムライもまた

世界の歴史を大きく動かしていたのです。

地球規模の視点から浮かび上がる
新たな歴史。

そこから 私たちが生きる

一つにつながった世界の始まりが
見えてきます。

オランダ・アムステルダム。 今 また

戦国日本が世界に影響を与えた証しが
見つかりました。

オランダ東インド会社が製造した大砲。

X線を当て 金属の成分を解析します。

世界各地の銅のデータと
比較したところ

驚くべき結果が明らかになりました。

日本の銅を使った大砲は
ヨーロッパの大戦争に投入されます。

30年の長きにわたるこの戦いで
オランダ側が勝利。

敗北したスペインの没落は
決定的なものとなりました。

宗教の時代から経済の時代へ。

国境を越えて 人やモノが行き交う中で

世界史の大転換が起こったのです。

新たな時代の扉を開いた戦国日本。

私たちは 今も

一つにつながった激動の世界に
生きています。

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